「ハッピーアワー」

 NHK科学電話相談室という本に、「なぜ、人にいじわるしたくなってしまうのか?」という質問があった。人は、周りの人が苦しんだり困っているのを見て、快感を得るという脳の働きがあるそうだ。それが何の為にあるのかはよく分からないが、一方で、人の痛みや苦しみを、自分の事のように感じる、『同情回路』と呼ばれるような働きもあるらしい。誰かの皮膚に注射針が刺さるのを見て、自分が痛がる、といった風に。

 

 「ハッピーアワー」にも同じシーンがあった。実際に男性の腕に、注射針が刺さり、血が抜かれて行く様子を、隠す事も、省略もせず、緊張感を持ってじっくりと見せている。おかげで僕は、映画館で血の気が引いてしまった。(平気な人は、平気なんだろうか?)

 「ハッピーアワー」には、見ていて血の気が引いたり、まるでその場に立ち会っているかの様に息苦しくなるシーンが、随所にある。どうしてこんなに痛いのか、苦しいのか、何故映画を見にきたのに、こんな目に遭わされなきゃいけないのか。おそらく、似たような感覚で、出演している俳優の顔が、めちゃくちゃ憎らしいことがある。個人的には、鵜飼君と呼ばれるあのアーティストが、もう本当に嫌いになってしまって、あのクラブのシーンでは、あかりが彼の事を早くぶん殴ってくれないだろうかと、心から願っていた。しかし、ぶん殴られるどころか、逆にはり倒され、群衆の中へ突き飛ばされてしまう。誰もがこれを見ていて、自らの足に鈍い痛みを感じはしなかっただろうか?4D映画と呼ばれるものがあるけど、そんな冗談みたいなものではなく、この映画では、信じられない事に、実際に痛みを感じて、息が苦しくなる。

 

 一方で、奇跡のようにきらめく瞬間がある。第二部の終わりのシーン。フェリー乗り場で待ちぼうけをくらった、桜子の息子が、どこかへ旅立って行く純を見送るシーンだ。

「純さんがいなかったら、僕は生まれなかったんだよね!」と彼が叫び、純は「そやで、感謝しいや!」と答える。(確かそんな感じだったかと)

この二人の、叫ぶような会話が、フェリーが岸を離れる動きと共に行なわれるのが、深い感動を呼ぶ。苦しみの中で、不意に水面が現れ、深く息継ぎをしたような瞬間だった。

 

 あれから何度もこの映画の事を思い返している。自分の中で、5時間17分という体験は、その時間に収まり切らないほど、大きなものになってきている。

 

「ハッピーアワー」公式HP

http://hh.fictive.jp/ja/