8月23日の『HOMESICK』上映後に、黒沢清監督とトークイベントを行いました。
黒沢監督は東京芸大時代からの恩師であり、学生時代から映画を見ていただいているのですが、卒業後に作品を見ていただくのは今回が初めて。
『HOMESICK』における水の表現について、或いはいつも逆光の中にいる主人公の存在について。 さらには、取り残されるという言葉をキーワードに、主人公が見つめる遠くの世界について。
冒頭、空を飛ぶ飛行機。そこには飛行機の音はそれほどはっきりと聞こえない。
一方、ラストの打ち上げ花火では、鳴り響く音の存在によって、外の世界が主人公の場所にまで届いてくるような感覚がある。
などなど。 僕が意識した事もそうでなかった事も、黒沢監督は『HOMESICK』の細部をいくつも拾い上げてくれて、最後に、距離感というものがよく現れた映画であるとまとめてくれた。
それは外の世界との隔たれた距離感でもあるし、かと思うとふいに距離をつめてくる子供たちのことでもあるだろう。
イルカが泳ぐ海の世界は、近くにあり触れる事もできるが、しかしプロジェクターで投影された映像でしかない。
手にした風船は、はるかかなたの空の上まで飛んでいってしまう。
という風に、黒沢さんの言葉からどんどん映画についての考えが広がっていく。
黒沢さんの言葉は、いつだって具体的で、スクリーンに映し出されたものについて語っている訳だが、それは技術的な話でも専門的な話でもない。
映画の在り方と世界の在り方をふと重ね合わせる、魔法の言葉のようだと思う。
無論、それは、黒沢監督の映画を見れば誰もが感じる事だろう。
8年前『ニンゲン合格』を見て、ああそうか、世界と人はこうやって繋がっているんだと、えらく納得し感動したのが、『HOMESICK』のはじまりだった。
黒沢清監督に映画を見てもらえる。そして「廣原の映画は・・」と言ってもらえる。これほど幸せな事が他にあるだろうか。
自分の映画は面白いんだぞと自慢することは決してないが、黒沢清監督が僕の映画を見てこんなことを言ったんだぞという事は、今後も大いに自慢していこうと思う。