2012年5月9日(水)武蔵野美術大学に行った

今日は武蔵野美術大学にイベントの宣伝がてらお邪魔した。

 

夜は小口詩子ゼミの学生と、つまりは僕の後輩たちとお酒を飲みながら楽しく話をした。

年の近い後輩としゃべるのは本当に楽しい。

それは多分(もしかしたら僕の思い上がりかもしれないのだけれど)、

彼らが何を欲しているのかが痛い程よく分かるからだと思う。

そしてそこでは難しい言葉は何一つ必要がないから、お互いに思っている事をしゃべればいい。

 

「好きな映画は何?」という質問をしてみる。

 

簡単に答えてくれる人と、そうじゃない人がいる。僕もこの質問をされると大抵困る。

相手によって答える映画を変えたりと、ずるいこともしていたが、今は誰に聞かれてもジャック・ロジェの『オルエットの方へ』と答える。

これは本当に大好きだし、映画館に二回も行ったし(そんなこと滅多にしない)、

最近DVDも買ったから、自信を持って答えられる。

 

簡単に答えてくれる人は、本当にいいやつだなと思う。

何の映画の名前を出したって大抵恥ずかしい。

逆に簡単に答えてくれない人を見ると、何か悪い事を聞いてしまったような、申し訳ない気持ちになる。

こういう質問をする時、どこか自分の中に、無意識に相手がどういう人間であるかを探ろうとしている感覚があるのは否めない。それを改めて感じてしまい、そんな自分を情けないなと思ったりもする。

 

しかし、どうしても聞きたくなってしまい、「園子温監督は好き?」と聞いてみる。

そうすると、みんなが好きだと答える。

 

今、園子温監督は若者に絶大な人気がある。

映画を作る若者からも、絶大な支持を得ているようだ。それを確かめたくて聞いてみたかった。

 

僕が見た事あるのは『愛のむきだし』と『冷たい熱帯魚』。

っと前に『自殺サークル』を見たはずだが、そんなに面白くなかったということしか覚えていない。

 

しかし、『愛のむきだし』と『冷たい熱帯魚』については多少覚えている。

 

『愛のむきだし』はK'sシネマで見たが、全く飽きずに最後まで見ることができて、

途中に入る休憩がうざったく感じたくらいだ。

『冷たい熱帯魚』はバンクーバー映画祭で見たのだが、初日の時差ボケの中、うつらうつらして見始めたのに、なんと一切眠る事なく最後まで見ることができた。

 

なんだ、じゃあ面白かったのか?と言われると。

うーん、飽きなかったよ。としか言えない。

 

『愛のむきだし』を見終わった後、長時間まったく飽きずに見る事が出来たという充実感と共に、なんか変だな、なんか騙されている気がするな、という感覚を抱いたのを覚えている。

単純にディティールがぞんざいに扱われていたり、設定もキャラクターもご都合主義だったりとする訳だが、それが理由なのかどうか分からない。

『冷たい熱帯魚』を見終わった後も、最後まで見れた充実感とともに、「だから何だ?」みたいな妙な反抗心を自分の中に持ったのを覚えている。何故か僕はこの映画に、「お前らみんな馬鹿だ」と言われた気分になったのだ。出てくる登場人物がみんなチェスの駒のように見えた。

単純で、一面的で、とても分かりやすかった。主人公の変化も、表が裏になっただけに見えた。

人間は表と裏しかないのか?と反感を感じた。スクリーンの向こう側にいる監督だけが偉そうにみえた。

 

それら二つの映画は、世の中っていうのはこうなってんだ、人間ってのはこうなってんだ、映画ってのはこうやればいいんだと、全てを決めつける所からスタートしているように見えた。

その事が自分には受け入れがたかった。

 

もうすぐ早稲田松竹で『ヒミズ』が上映される。

ムサビの後輩の話を聞いて、やっぱり見てみようかという気分になった。

矛盾しているかもしれないが、こういった事を云々と考えるのはそんなに嫌いじゃない。

 

まだ見ぬ映画は世界中に、過去に遡ればもっと他にいくらでもあるのだから、もっと視野を拡げないといけないなとも思う。

今は、もうすぐユーロスペースで始まる"日活ロマンポルノ特集"を楽しみにしている。

見たいのに見れていない映画がまだまだたくさんある。

 

ふと、大学時代の富澤先生の言葉を思い出す。


僕が映画の感想をしゃべろうとすると富澤先生がそれを遮って、

「そんなことは言わなくていい。良いとか悪いとか決めなくていい。無理矢理言葉にしなくていい。面白いなと思って、とりあえず何となく見てればいいの」

と言って、聞いてくれなかった。

 

結局、富澤先生の言葉が一番胸に残っている。